【動画】スマナサーラ長老「悟りを開く瞑想について」

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2013/07/20 に公開

一番ブッダの教えに近いと言われている
上座部(原始)仏教のアルボムッレスマナサーラ長老による
悟る瞑想について詳しく解説されています。

・生命はみんな自分に優しくしてほしいと思っている
・苦労したら、必ず報われるとうのは、嘘
・動物的な脳が思考のバイアス(歪み)を作り出す
・貪瞋癡(とんじんち)の思考をストップすると理性の脳が働きだす
・貪瞋癡の思考をストップするために今の瞬間に気づきを入れる
・体の感覚を感じながら瞑想する
・鬱になる過程
・体の姿勢について
・悟りに至る瞑想の解説

●リンク:
画像元:http://gotami.j-theravada.net/2010010…

日本テーラワーダ仏教
http://www.j-theravada.net/

スマナサーラ長老の書籍
自分を変える気づきの瞑想法【増補改訂版】     http://www.amazon.co.jp/dp/490450786X
「アルボムッレ・スマナサーラ法話選2―真理のききめ」     http://www.amazon.co.jp/dp/4905425417
「怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉」     http://www.amazon.co.jp/dp/4901679201
「執着しないこと」     http://www.amazon.co.jp/dp/4806142557
「くじけないこと」     http://www.amazon.co.jp/dp/B009Z7HRJ6

これは凄い!! 脳に従わなかったら頭がスッキリした。 書きます書きます書きますで書いてます笑
i2ch2i

在家レベルでできる四念処。これをし続けることにより、五蘊の想受滅が起こり、「~したい」との思い、即ち行蘊の反応が一時的になくなる。縁起で言えば、感受作用で止まり、受→愛の流れが遮断される。その流れが遮断されたときに、フッと体験するのが三法印であろう。
GroundZeroHiroshima

ちなみにスリランカ人の集団ストーカー犯罪者にしても、まるで人権概念のないアメリカ人やその奴隷の日本人、あるいはシナ人や朝鮮人の集団ストーカー犯罪者が、被害者を同じ人間とは看做さず本気で抹殺しようとするのに対し、「いちおう」敬虔な仏教国スリランカのストーカー犯罪者たちはまだ多少の人間性が残っており、被害者の私に対してもどこか手心を加えているのが見て取れる。だからそれぞれの民族がその長所を活かしCOINTEPRO犯罪に対処していくのがいいのではないだろうか。
Mason Hayashi

裏から言えば集団ストーカー犯罪を「やり・やらせ・トボケる」者は、どれほど先進国と呼ばれ、どんな高い地位にある者だろうと、とんでもない「バカ」ということだ。 つまり、国籍やそのステレオタイプなどにとらわれることなく、ナニ人であれ一人一人がしっかりとして、いち人間としての倫理を醸成・維持していかなくてはならない時代に既に入っているのだ。この意味では、むしろ徹底した個人主義に鍛えられてきたアメリカ人に分があるだろう。日本では『反省しないアメリカ人とつきあう方法』という本が売れたそうだが、実際、アメリカ人でも柔軟な思考のできる若者や、一般に男性より思いやりが豊かな女性のなかに、「ちゃんと反省できる」謙虚で賢明な人も現れている。彼らは大衆マインドコントロールの存在に気づき、集団ストーカー(COINTELPRO)に操られることの危険性を十分認識し、これに抵抗を試みるにはどうすればよいのか真摯に学ぼうとしている。またDNAから見てもアメリカ人は「新規探索傾向」が強い人が多い。この特性が、アメリカ人をして、地球的規模の人権侵害という、まさに人類未曾有の危機に立ち向かう尖兵ならしめる可能性も苞している。スマ長老、それでも「アメリカ人」はただのバカで「スリランカ人」はいつも賢いのだろうか?
Mason Hayashi

スマ長老、本当に「アメリカ人はバカ」なの? スマ長老はその著書で「アメリカ人はバカですから」とのたまい、またスリランカ政府の役人や政治家にも犯罪大国のアメリカ人を忌み嫌い、蔑んで見ている者も多い。しかしスリランカの大衆がその「バカな」アメリカ人の考案したバカで変態の極地としかいいようのない集団ストーカー(COINTELPRO)犯罪に喜んで参加しているのだ。己の利益しか考えず、同じ国の無辜の民がどんな迫害をくわえられていようが、自分の金もうけ、権力集めのほうが大事だから簡単に洗脳され、集団ストーカーに協力している。実際、同国の自殺者は最近増加傾向にあり社会問題化し始めている。
Mason Hayashi

cont’d  同じ事は一九四五年からアメリカ人による大衆まいんどこんとろーるを受け続けた日本人にも言える。経済格差が目に見えて広がり世代間で固定化されつつあるのが「楔を打ち込まれた」状態と言えよう。(なお、これは現在世界的な傾向だという指摘もある。) なにより宗教的なものはすべて悪であるかのように洗脳されつづけ、大乗仏教の真髄「忘己利他」の精神すらも排斥されつつある。世界の有色人種のなかで最後まで白人の侵略者たちを手こずらせた日本人の強さの秘密は国民一人一人が、利己主義を捨て一丸となって危機に対処した民度の高さにあった。それを、3歩あるいたら過去はすべて忘れるといわれるニワトリのように忘れ、権力者を筆頭に、己の地位財産を守ることしか頭になく、他人のために自己犠牲を払うなどとんでもないと思っている亡者であふれているのが戦後の日本ではないか。そのほうが白人たちが、日本人を経済奴隷として使用しやすいし、間違っても日本人が一致団結して反抗しないよう精神的に支配しておくのに都合が良いからであることも知らず、ご主人様の白人たちを崇拝さえしている者も特に中高年に多い。もう500年も前に白人たちの奴隷にされたスリランカ人がその愚かさを身をもって教えてくれているにもかかわらずである。こういうのをほんとうの「バカ」というのではないか?
Dosen Kylie

“いかなる不正義もある境地に達すれば苦ではなくなる”という様な考え方を「境地の思想」「境地主義」という。 要するに、「心頭滅却すれば火もまた涼し」である。 釈尊の仏教も境地主義であるかのように誤解されることがあるが、釈尊は心さえととのえればどんな苦も苦と感じられなくなる、と言っているのではない。 苦の原因は縁起の道理を知らない無知にあり、智慧をもって無知をただしていくことが苦の解決である、といっているのである。 もちろん自分の心が自分を苦しめている場合もあり、その場合には境地の思想も有効である。 しかし、戦争(地獄)や飢餓(餓鬼)や公害(畜生)に苦しむ人々に境地の思想を説くのは犯罪的とさえ言える。 公害や戦争や飢餓で苦しむ原因は自分の心がけが悪いからだろうか? 違う。それを引き起こす存在があるからだ。その原因を見いだし、それを滅することが縁起の思想からすれば当然のことである。 スマナサーラにはそれが分からない。「怒る人間が悪い、怒る人間は馬鹿だ」という縁起性を無視した物言いである。 境地の思想とは、他者の不在でもある。 苦を苦と感じなくすればよい、というのは自分一人だけの問題である。 他者(衆生)への眼差しも他者(仏)からの眼差しもそこにはない。 スマナサーラは、いや上座部仏教は、ひたすら自己に沈潜することで、自己が(他者も)縁起=社会的存在であることを忘れたのではないか。 また、自分を超えた存在(仏)によって自己のありかたを批判的に問うことも忘れたのではないか。 それこそが、上座部仏教が“小乗仏教”と呼ばれる所以である。
Dosen Kylie

“いかなる不正義もある境地に達すれば苦ではなくなる”という様な考え方を「境地の思想」「境地主義」という。 要するに、「心頭滅却すれば火もまた涼し」である。 釈尊の仏教も境地主義であるかのように誤解されることがあるが、釈尊は心さえととのえればどんな苦も苦と感じられなくなる、と言っているのではない。 苦の原因は縁起の道理を知らない無知にあり、智慧をもって無知をただしていくことが苦の解決である、といっているのである。 もちろん自分の心が自分を苦しめている場合もあり、その場合には境地の思想も有効である。 しかし、戦争(地獄)や飢餓(餓鬼)や公害(畜生)に苦しむ人々に境地の思想を説くのは犯罪的とさえ言える。 公害や戦争や飢餓で苦しむ原因は自分の心がけが悪いからだろうか? 違う。それを引き起こす存在があるからだ。その原因を見いだし、それを滅することが縁起の思想からすれば当然のことである。 スマナサーラにはそれが分からない。「怒る人間が悪い、怒る人間は馬鹿だ」という縁起性を無視した物言いである。 境地の思想とは、他者の不在でもある。 苦を苦と感じなくすればよい、というのは自分一人だけの問題である。 他者(衆生)への眼差しも他者(仏)からの眼差しもそこにはない。 スマナサーラは、いや上座部仏教は、ひたすら自己に沈潜することで、自己が(他者も)縁起=社会的存在であることを忘れたのではないか。 また、自分を超えた存在(仏)によって自己のありかたを批判的に問うことも忘れたのではないか。 それこそが、上座部仏教が“小乗仏教”と呼ばれる所以である。

やまさきゆうみ

+Dosen Kylie ご高説ありがとうございます。 「ダメだ、ダメだ」という前に代替案を示さないといけないと思います。 「ダメ」って言うのは、後出しじゃんけんなんで簡単だと思いますよ。 大乗、上座部問わず、「空」は説きますが、 特に大乗は「空」を強調します。 「空」は「境地主義」ではないのでしょうか? 怒る人間は、バカだって言うのは、 怒りが怒りを生む連鎖を止められないからではないでしょうか? 公害や戦争や飢餓で苦しむ原因は自分の心がけが悪いからとまでは、説いてないんじゃないでしょうか? 公害や戦争や飢餓を引き起こす存在があるからだ。 その原因を見いだし、それを滅することまでをスマナサーラさんは否定しているのでしょうか? 境地の思想とは、他者の不在でもあるかもしれませんが、 「他者の不在」は縁起説を強調する上座部とはかけ離れた思想ですよね? 恐らく、上座部が境地主義であれば、あなたの反論は成り立つが、境地主義でなければ、成り立たないんじゃないかな。 一つ一つ裏の理由や理論を考えずに表面だけの主張に噛みついて すべてを境地主義でひとまとめにして、境地主義の上座部はダメって言ってるようにしか聞こえない。 境地主義がダメっていうならわかるけど、上座部ダメってのは違うんじゃない? ま、代替案は出さないんですけど(笑)
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